「西陣織」名前の由来


西陣織の源流は5、6世紀頃大陸からの渡来人である秦一族が京都・太秦あたりに住みついて、養蚕と絹織物の技術を伝えたことに始まります。
飛鳥時代や奈良時代を経て平安時代になると、朝廷は織部の司と言う役人の元に工人(たみく)達を組織して高級絹織物を生産させました。
室町時代になると職人たちは大舎人座(おおとねりざ)という同業組合のようなものを組織し朝廷の他一般の公家や武家などの注文にも応じて絹織物を生産していました。
室町時代の中頃、京都の街を舞台に東軍と西軍が争う応仁の乱が始まりました。
乱は11年も続いたため職人たちは全国に移り住み織物業は壊滅的になりましたが、戦乱が治まると、かれらは再び京都に戻り、もとの場所に近い白雲村や戦乱時に西軍の本陣であった大宮今出川付近で織物業を再開しました。
つまり西陣織という名前は西軍の本陣跡、つまり西陣という地名がその由来です。